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生命を慈しむために

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Photo by Nanami Miyamoto

大貫智子さま
朝倉希実加さま
李相眞さま
牛木未来さま
沖田まいさま
熊野功英さま

拝啓

陽気が春の訪れを伝えています。立春は太陽の動きで季節を区切る現代でも通じるのですね。突然のお手紙失礼いたします。金村詩恩と申します。文章を書きながら生きています。先日、大貫さんのコラムと『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』の著者たちの反応、その後のやりとりに触れ、筆を執った次第です。

書くとはさまざまな声が反響する世界に身を置くことに他なりません。世に出せば、当然、跳ね返ってくる。ときどき、書いた当人が思いがけない方向から強烈なスピードと熱を帯びたことばが跳んできてしまう。受け身を取れればいいのですが、急所に入ってしまったら痛くてしょうがない。表現の効用は痛みからはじまるのですが、近ごろは相手を倒す目的で、あえて弱い部分に当てようとするひとたちが増えました。SNSやインターネットといった技術を原因とする論もあります。間違いではないでしょう。声を絵や形にした文字だけの意思疎通の限界はある。しかし、すべてではないと思うんですね。ひとは技術でのみ生きるのではありませんから。では、どこに理由があるのか?一言でいえば、生命を感じられなくなってしまっているところではないでしょうか。ことばの根本は生命を慈しむことです。これが分かっていなければ美しい修辞を用いても意味がない。 

「ラディカル」なる単語がありますね。国語辞典には「①根本的。②急進的」と説明されている。語源はいったいなにか?ラテン語で「根」を意味する「radix」、つまり、「根っこ」です。さらに、根っこに立ち戻って問い直す姿勢を「急進的(ラディカル)」と呼ぶようになりました。なにごとも根本を捉えなければならないと教えてくれているようです。

さて、大貫さん、朝倉さん、李さん、牛木さん、沖田さん、熊野さんが日本と韓国に横たわっている課題を語っていることばは根本を捉えているでしょうか?知らない相手から問いかけられると驚くでしょう。しかし、読んでいるうちにわたしが何者かは分かってくると思います。そもそも、過去が積み重なった現在を語るのに属性を示す必要はあるのでしょうか?死者の前ではあらゆるひとが平等です。記憶を受けとり、どう生かしていくかが重要であって、権力者が名も無きひとたちを管理しやすくするために作ったラベルである属性をことさらに示す必要はまったくないはずです。

最初は大貫さんのコラムの感想を述べます。「国家の枠組みで考えている」が第一印象でした。現状打破を真面目に考えているひとほど国が主語になります。

在日本大韓民国民団の呉公太前団長が釜山に設置された戦時性暴力被害者をモチーフとしている平和の少女像を「撤去すべきというのが在日同胞の切実な思いだ」と述べたことがありました。呉前団長は非常にリベラルな方だと伺っています。しかし、この件ではまったく違いました。日韓関係をどうにかして安定させたい気持ちが強かったのでしょう。

国家関係は生存に直結します。1965年の日韓基本条約締結で協定永住制度ができました。韓国籍者だけですが、外交で権利のひとつを得られたといっても過言ではない。それに普段から「韓国の代表者」としての発言が求められます。特に戦後補償の話が取り沙汰されたときは大変。説明しても薄笑いされるだけ。「お前は韓国側だもんな」といわんがごとく。日本国籍を取得したとしても待遇は変わりませんと書いたところでわたしが何者か気づいたのではないでしょうか。そう。国を背負わされたり、降ろされたりする立場ですよ。楽になる方法は2つ。過剰な同化で日本人の仮面を被るか、日韓関係親善のために辛い決断をするのか。
呉前団長の上記の発言を知ったときは怒りました。植民地支配の犠牲者たちを見捨てるのかと。同時に在日韓国人団体のトップとして、ヘイトスピーチから同胞の身を守るための判断だったとも思ったのです。国を背負わさざるをえないからこそ、守るべきひとを守れない。前団長の心中はいかばかりだったでしょう。元「慰安婦」の方が日本にもいたのを当然、知っていたでしょうから。

おなじ立場のひとたちはまだいます。世襲の独裁国家を「共和国」と呼ぶ在日たちのために存在する総聯です。正式名称は在日本朝鮮人総聯合会です。「横につながる組織」を目指すとの意味合いで「総聯合会」と名づけたようですよ。しかし、実態はどうなのか。帰還者の身内を持ちながら日本の同胞たちなんて眼中にないといいたいような行動をするあいつが血統だけで指導者になっている、帝国日本とまったく変わらない国へ従わざるをえない。南も大日本帝国と変わらない事件を引き起こしましたから。ときどき、総聯に勤めているひとの書き込みを見かけます。無理な理屈で擁護している。真面目なのでしょう。どうにかして、北の代表者の役割を果たそうとしているのです。同胞を守るために。怒りと同情で胸がいっぱいになります。

国ってなんですかね?
本来であれば、個人の生命、財産、権利を守るためにあるはずです。しかし、目の前では別の現実が広がっています。人間を忘れたグローバルパートナーになんの意味があるんですか?国家関係のために犠牲になるのはもううんざりなのです。

つぎは朝倉さん、李さん、牛木さん、沖田さん、熊野さんへ。
『「日韓」のモヤモヤと大学生のわたし』読みました。本来であれば、インタビューをすべきなのでしょう。しかし、生命を守るため、戦ったひとたちに育てられたわたしは未来を造るであろうあなたたちへどうしても伝えなければいけません。「当事者」として分断され、祭り上げられたいのではありませんよ。おなじ地平に立つためです。会う会わない、コミュニケーションするしないは皆さんにお任せします。

1927年12月25日生まれの祖母はソウルで生まれました。裕福なクリスチャンホームで育ちます。青春時代には皇居への拝礼や神社参拝が強制されていました。生の証である信仰を守るため、バレないようにサボるんですね。

敗戦の色が濃くなってきたある夏の日でした。憲兵に見つかってしまうんです。30分ほど押し問答した末、後日の出頭を命じられます。死を覚悟した数時間後、玉音放送が流れました。

そんな経験をした彼女がどのように日本をまなざしていたと思いますか?わたしたち家族が通っていた教会にはソウルから来た牧師がときおり、牧会してました。子どもたちにはハングルの商品名がトレードマークで地味な包装のチョコや飴をくれます。食べてみると口いっぱいにケミカルな甘みが…。いまみたいに可愛くて、美味しくなかったんです。大切な食べものですから捨てるわけにいかない。困っていたら、祖母が「わたしたちの祖国はなんでこの程度なんだ。日本はもっと美味しいものを作っているのに。」と代わりに口にしてくれたんです。よく「日帝とおなじレベルに立ってはいけない。そして、やり直したひとたちを見習わなければならない」と話してました。完璧といえなくとも、民主主義国家に生まれ直した豊かな日本に一目置いていたんですよ。

もちろん、帝国は忘れていません。昔話をよくしてくれました。彼女は抵抗した経歴は一切、誇らなかった。戦いたくて、戦ったわけではなく、生命を守るための当たり前の行動だったので。あの抵抗がなければわたしは存在しませんでした。

生命第一に考えていたのは祖母だけではありません。韓国の独立運動家たちはイデオロギーがバラバラでしたが、「生命を守り抜く」点は共通していました。植民地支配終了以降はすっかり変わってしまいますけどね。情けない話です。なんのために戦ったのか。死んでいったものが浮かばれません。

はっきりいいましょう。あなたたち4人が書いた本にはがっかりしました。教科書のことばで事実が列挙してあるだけ。座談会も根本が抜けています。知識は必要かもしれない。しかし、わたしたちの先達たちは無味乾燥な単語となるために戦ったのではありません。かけがえのない生命を守るために立ち上がったのです。「加害」?「被害」?「責任」?だれでもいえます。大切なのは生命を慈しむことなんです。あなたたちが触れたのは、肉体を失っても地上を彷徨いながら、自らの生になんの意味があったのか問いつづけているひとたちです。彼、彼女たちが「生きててよかった」と心の底からいえるためになにができるかを考えてください。
そして、生命を慈しんで。

生命をかけて独立万歳と叫んだこの日に。

敬具

2023年3月1日
金村詩恩

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物書き。1991年11月26日生まれ。 在日コリアン3世で、日本国籍で、日本人のクオーターで、埼玉県出身で、男性で…ってキリがないな。 権力者が作った属性なんてラベルなんか興味ないですよね。わたしもです。 2017年12月に『私のエッジから観ている風景―日本籍で、在日コリアンで』(ぶなのもり)を出版。 以降、『現代思想』(青土社)、『福音と世界』(新教出版社)、『在日総合雑誌 抗路』(クレイン)、『現代ビジネス』(講談社)、『WEZZY』(サイゾー)などに寄稿している。

写真 : 宮本 七生

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1986年生。
東京近郊を中心にスチール撮影をしております。
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