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韓国戒厳令から尹錫悦大統領の弾劾まで 市民デモの現地写真と民主主義

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日本の大学で哲学と文学・映画批評を学ぶ。仕事で何度かの挫折を経験するも、自分らしく働くことを目指して奮闘中。日々の小さな違和感を共有し、より生きやすい世界に変えていくことを目指します。現在は韓国在住。

物書き。1991年11月26日生まれ。在日コリアン3世で、日本国籍で、日本人のクオーターで、埼玉県出身で、男性で…ってキリがないな。権力者が作った属性に興味ないですよね。わたしもです。2017年12月に『私のエッジから観ている風景―日本籍で、在日コリアンで』(ぶなのもり)を出版。以降、『現代思想』(青土社)、『福音と世界』(新教出版社)、『在日総合雑誌 抗路』(クレイン)、『現代ビジネス』(講談社)、などに寄稿している。

2024年12月12日、尹大統領の弾劾が可決されたあとの様子。撮影:シア

詩恩
シアさん、だいじょうぶですか?すみません。こんな挨拶で。なんて声をかけていいのか分からないんです。不安でいっぱいでしたよね。

シア
ご心配ありがとうございます。
わたしは今のところ大丈夫です。12月3日の夜は早く眠りについたので、次の日の朝、母からの連絡で知りました。

2024年12月4日 母から、ニュースのリンクと共に「非常戒厳令が宣布された。外出時は気を付けて。」と連絡がきた。画像提供:シア

詩恩
家で仕事をしていたときに、韓国に住む友人から戒厳令を知らせるカカオトークがきました。なにが起きているのか分からなくて、Twitter(いまはXでしたっけ?)を開いたら記者会見中の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領(以下、尹大統領)の映像が目に飛び込んできました。

釜山に留学していたころお世話になった韓国語の先生に連絡 画像提供:詩恩

シア
非常戒厳?ってなんだ?と思って急いでYouTubeのニュースを見たら、大変なことになっていました。すでにその短い時間に、国会議員たちと市民たちのおかげで戒厳令は解除されていたのです。
全く現実感がなく、ニュースのはずなのに映画を見ている感じでした。

その日は割と落ち着いていましたよ。一応国会の意思を尹大統領が受け止めて戒厳令は解除したから、きっと大丈夫だろうと。本当の独裁政権になるためなら、それすら受け入れなかったかもしれない、と思うようにしていました。
周りは、夜中の騒ぎで驚いている人は多かったですが、「終わった」からもう大丈夫という意見や、尹大統領が酔っ払ってやったんじゃないかという意見もあり、状況がうまく把握できず、混乱していました。
正直それまで、わたしは戒厳令とはなんなのかもよく分かってなかったです。教科書で何度か見た覚えがあるくらいで。でも、ただごとではないな、と思いずっとニュースを見ていました。それからですね、ことの深刻さがわかってきたのは。

詩恩
なにもないようで安心しました。わたしも最初はなにがなんだかさっぱり分からず、映画を観ている感覚になりました。フェイクニュースを疑いましたが、国会議員たちが門をよじ登る映像を観て、現実なんだと気づきました。
「戒厳令」なんてまさか発令されるとは思わなかったんです。大統領が独裁者になるなんて1960年代に生まれた母の時代で終わったと思いこんでいましたから。

シア
本当にそうですね。
45年ぶりの戒厳令ですよ?戒厳令が発令されるとは夢にも思わなかったです。

詩恩
撤回の直後ぐらいだったでしょうか。戒厳令を準備するために使用した文献では「済州島4・3事件」を「済州暴動」と記載しているとニュースで知りました。ご存じだと思いますが、「済州島4・3事件」は韓国が引き起こした虐殺事件です。
職場で戒厳令の影響を受けるかもしれない話をするか迷ったんですよ。わたしは4・3事件の遺族なんで戒厳令が出たら当局に捕まる可能性がありますよ、と。韓国に親類縁者や友人がいるんで、「できることなら彼、彼女たちと連絡を取る時間をください」と言おうと思ったんですけど止めました。上司へさりげなく戒厳令の話をしたら「でも、すぐ終わったんでしょ?」と返されたんで。日本では「ああ、なにかが起きている」程度だったんじゃないでしょうか。

シア
「戒厳令」が発令されたのは1980年以来です。1979年朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が殺害された時に出されて、1980年5月17日、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領が軍部クーデターを起こしたことで非常戒厳が全国に拡大されました。
それからすぐ光州で5.18民主化運動が起きて、多くの市民が亡くなりました。

「戒厳令」という言葉がもつ響きは決してハプニングで終わるほどのものではありません。
わたしのような20代〜30代には「昔のこと」かもしれませんが、その時代を経験した上の世代にとっては、より深刻に受け止められたと思います。だからこそ、その時代を経験した国会議員、国会議長などは門をよじ登ってでも民主主義を守ろうとしたのではないでしょうか。
実際その時代を経験された詩恩さんのお母さまは、普段どんな話をされるのですか。

詩恩
うちの母が若かった1980年代は民主化運動が激しかったころです。母は酒を飲むとソウル大学に留学していたときに目撃した話をします。母の目の前で民主化を訴えた学生が焼身飛び降り自殺したそうです。「なんで生きて国を変えなかったんだ?」と母は泣きながら話すんですね。母と同世代であろう国会議員や国会議長の周辺では生命を失った学生たちがたくさんいるのだと思います。もちろん、自殺だけではありません。当局による拷問で亡くなったひともいました。
惨い死はどうしても忘れられないんですよね。

シア
そうだったんですね……。もし今回の戒厳令が成功したら、それがもう一度繰り返されていたかもしれない。そう思うと本当にゾッとします。
詩恩さんもとても不安な一週間を過ごされたと思います。済州島4・3事件の遺族でありながら、在日コリアンとしてどのような思いで過ごしていましたか?

詩恩
会社に行っても仕事がまったく手につかなかったです。仕事道具を忘れるわ、やらなきゃいけないタスクを忘れるで…。ひとりで抱え込めなくて、同業他社でお世話になっているひとに思わず、「戒厳令で捕まるかもしれないんですよね」と話してました。相手はいまいちピンときていなかったですね。たしかに突然いわれてもきょとんとしますよね(笑)
シアさんはいかがでした?

シア
やっぱりそうでしたか。仕事が手につかないですよね。幸い、わたしはフリーランスなのでニュースを見続ける時間がありました。なので、ずっとニュースをみて、市民の反応をリアルタイムで追っていました。わたしは恥ずかしいことに、韓国の民主化運動について詳しく分かってなくて。それがわからないと今の状況も判断できないという危機感で、急いで図書館に行って本を読んだりもしました。それでも1人でモヤモヤしてるのも我慢できなかったので、不安ながら土曜日にデモがあることを知って、なんの準備もなく国会に向かいました。

詩恩
デモに行くのはかなり勇気が必要だったと思います。決心をつけた理由はなにがありました?

シア
決定的なきっかけは、次々と出てくる衝撃的なニュースでした。
戒厳令の内容が「ストライキに参加する医師および医療関係者は48時間以内に戻らないと戒厳法により処断する」とか、「国会は反国家勢力」など、とても恐ろしい内容だったことに驚きました。ここでの処断という言葉は、死刑という意味に捉えられます。
そして命の危機を感じながら国会に向かった国会議員や市民の話、そして命令には従うしかなかったけど市民に謝った軍人の姿など、見ていて辛くなる内容がたくさんありました。
正直、怖かったです。もし、もう一度戒厳令が発令されたら、国会が真っ先に狙われる。最悪、市民たちも昔のように殺されるかもしれない。家族からはすごく心配されましたが、それでも、やっぱり行くしかないと思いました。

詩恩
わたしは最初の土曜日の集会の様子を観ていましたがすごい数の人がいましたよね。たしか最初の土曜日は弾劾が破棄されました。デモ会場はどのような様子でしたか?

シア
なにしろ初めてだったので、ホッカイロ以外は何も持たずに向かいました。最初の弾劾投票があった12月7日は、主催者側の推定では100万人ほど集まったようです。7日はいざ着いてみると大通りも全て市民で埋まっていて、座る場所がなくて何十分も周りをぐるぐる回っていました。こんなに人が多いのをみたのは生まれて初めてでした。
この日はまだ設備が行き届いてなく、ステージや国会を映すスクリーンが足りておらず、何もわからないまま、ただ座りこんでいました。
主催者も参加者も、2022年のソウル梨泰院雑踏事故があったので、怪我人を出さないように気をつけていました。

12月7日 国会前の大通りから離れた場所も、尹大統領の弾劾デモに来た人で埋め尽くされていた。撮影:シア

シア
与党は弾劾に反対していたので、どうなるか分からない状況でした。それでもこんなにたくさんの市民が見守っているのだから、与党の中でも賛成する人が出てきて、可決されるだろうと思っていました。

それなのに尹大統領への弾劾訴追案に対して、安哲秀(アン・チョルス)議員1人以外、与党「国民の力」の全員が投票をボイコットしてしまったんです。与党108人中8人だけ賛成してくれれば弾劾が可決できたのに。
国会前の市民はずっと希望を抱いて「弾劾!」と叫んでいたのですが、その瞬間、全体がシーンとなりました。それとは裏腹に、国会の様子を映すスクリーンでは野党議員たちの怒鳴る声が飛び交っていました。わたしは「裏切られた」と思いました。

詩恩
あれはガッカリしましたよね。

シア
ガッカリを超えて、怒りや悲しみがこみ上げてきました。わたしを含めて、涙を流す市民もたくさんいました。帰ってこない与党の議員たちの名前をひとりひとり叫んでも、戻ってきたのは2人だけ。夜の9時まで待っても結局、200人に満たず弾劾案は破棄されました。
本当のことを言うと、戒厳令が出されたこと自体より、この時のほうがショックだったのかもしれません。国民を代表する国会議員たちが国民を裏切ったんだと。

詩恩
ちなみにシアさんは参加される前までデモにどんな印象がありました?

シア
デモについては、あまり肯定的なイメージはなかったです。朴槿恵(パク・クネ)前大統領の弾劾デモがとても印象的だったのですが、それ以外は普段から「デモをして何か変わるのか」と疑問を持っていました。でも今回は「いても立ってもいられない」状況になって、家を飛び出しました。外交は停止し、韓国への信頼が落ちたせいで高騰する為替を止めるために膨大な金額の国民年金が注がれる、いつまた約束を破って戒厳令を出すかもしれないのに、与党は自分の利益のために弾劾を反対して「秩序ある退陣」を求める。すごく腹立たしいです。市民たちが見ているというのに、ありえないことがたくさん起こっているんですから。
ことが片付くまでは、何度かまたデモに行かなければ、と今は思っています。詩恩さんは韓国でこんな大規模なデモが起きたことについて、どう思いますか?

詩恩
とにかく死人が出ないことを祈っていました。たかがユン・ソンニョルのためになんの罪もないひとが死んでしまうのは…。李承晩(リ・スンマン)大統領から全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領まで参加者のだれかが亡くなっています。権利のために死人が出るところを観るのはもうごめんですね。だから、シアさんがデモに行かれたとうかがったときはとりあえず死なないでくれ、あんなやつのために犠牲にならないでくれ、と思っていたんですよ。

シア
幸い1人も犠牲にならず済みました。
2度目の弾劾案が可決された12月14日にはその倍の200万人ほどが集まったんです。行きも帰りも人が多くて大変でしたが、わたしもこうして安全に、しかも市民の連帯で胸がいっぱいになって帰ってこれたことに感謝しています。

12月14日、国会議事堂に行くために9号線に乗り換える時の様子。人が多すぎて大変だった。撮影:シア

詩恩
正直いうと、今こうしてやりとりできることにホッとしています。日本では韓国の民主化運動が勇ましくいわれていますけど、ほんとうは違います。あの運動に参加したひとたちは、母とおなじようにいまだに悩み続けています。そして、運動の犠牲者たちとともに生きています。決して幸せそうではありません。
シアさんは親族の方から民主化運動の話は聴いていましたか?

シア
わたしは親族から民主化運動の話はあまり聞いていません。本や映画、ドキュメンタリーなどから得た情報がすべてです。

詩恩
そうだったんですね。わたしの周りは民主化運動にかかわりを持ったひとが多くて。済州島から父が住んでいた日本の家まで逃げてきた親戚もいるんですね。朴正熙(パク・チョンヒ)政権反対運動をやって韓国政府に追われていたんです。最後は大阪の領事館に出頭したんですけど、韓国に戻ってからは行方不明です。シアさんがいた国会前のデモを観ながらいろんなひとを思い出していました。ほんとうはデモに行きたかったです。一方で行ったら死ぬんだろうなとも思っていました。

シア
詩恩さんにとっては「韓国のデモに参加する=死ぬかもしれない」という不安がより強いわけですね。一緒に祈ってくださって本当にありがとうございます。
幸い、2回とも平和的なデモで、むしろ印象に残ったことがたくさんあります。

詩恩
どんなことですか?

シア
まずはわたしのデモに対するイメージとあまりにも違った、一見楽しそうに見える雰囲気ですね。一緒に弾劾の歌(有名な歌の詞を替え歌したものや、元気が出るK-POPなど、さまざまな歌がありました)を歌って、ペンライトや「弾劾」と書かれた紙を持って手を振ったり。
弾劾の可決が発表されたとたん、少女時代の「再び会った世界」が流れ出し、歌を歌いながら喜びました。涙を流す人もたくさんいました。
デモに行って「楽しかった」と思えるのは不思議な感覚でした。ただ楽しいだけじゃなくて、そのなかには一緒になって体を動かしながら怒りを発散させられてスッキリしたのもあると思います。

そして民主主義を守るためにこんなにたくさんの人が集まった、という連帯感。普段は個人としてひっそりしていた人たちもみんな出てきて、同じ場所にいるという一体感。韓国はいろいろ言われているけど、「まだ大丈夫」と思えたんです。わたしも「希望はあるのか」と落ち込むときもありますが。韓国のみんな、まだまだ生きてるじゃないかと。

12月14日 弾劾案が可決されたあとの帰り道。国会議事堂駅は安全上の理由から電車が停車しなかったため、ソガン大橋の上を20分ほど歩いてサンス駅へ向かう人々の様子。撮影:シア

詩恩
個人としてはひっそりしていたひとたちもいたのがいいですね。

シア
そういう人がたくさんいたと思います。みんな過激な反応もあまりなく、穏やかな感じでしたね!そのような雰囲気も相まって、より多くの人が集まったのではないかと思います。

詩恩
すごくうらやましいです。

シア
韓国マスコミも注目した、面白い旗も目立ちました。元々2016年の弾劾デモの際、どこの政党や団体にも所属してない人であることを見せるために、面白い旗を持って参加する人たちがでてきたそうです。
今回も、労働組合の「民主労総」をパロディした「民主猫総」や、「全国家で横になりたい人の集まり」、「ウリ国、通常営業します」、「全国凍え死んでもアイスコーヒー連合会」など、くすっと笑わせる内容の旗が多かったです。辛いはずなのに笑いを取るところが好きなんですよね(笑)。韓国の冬はとても寒いので、こういう旗や風刺ポスター、プラカードを見る楽しさに心が和みました。

詩恩
SNSでも話題になっていましたね。すごく面白かったです。でも、面白さをどう語っていいのか分からないでいるんですね。「韓国」もしくは「韓国人」の民主主義はといってしまいそうになるんですけど、国家や民族みたいな大きな主語で語ってしまったらいけない気がしています。、旗の内容を読んでいると、ひとりひとりの顔が見えてくるんですよね。その顔を国家や民族で塗りたくっていいのかと。民主政治って、ひとりひとりの人生のうえに成り立っているはずです。でも、票がほしいひとたちは塊にしたがります。今回の旗は塊であることを拒否していたように思ったんですよね。

国会前の通りにあった横断幕。「国民はオッパが恥ずかしい」と書かれている。撮影:シア

詩恩さん
シアさんに伺いたいのですが、この横断幕にはどんな意味が込められているんですか?

シアさん
帰り道にはいろんな横断幕があったのですが、その中でなんとなく撮ったのがこの一枚でした。「国民はオッパが恥ずかしい」と書かれています。もともと「オッパ」は、実の兄に対して呼ぶ以外にも、女性が年上の男性に親近感を持って呼ぶ言葉です。韓国では、誰にでも「オッパ」と呼ぶのは、ちょっと軽い印象があります。
尹大統領の妻、金建希(キム・ゴンヒ)がホステスだった噂も、ある程度関係があるのではないかと思います。それと、金建希と明太均(ミョン・テギュン、候補公認介入疑惑で疑惑を受けている政治ブローカー)のカカオトークが流出して、金建希が尹大統領を「分別なく騒ぐうちのオッパ」と呼んだことが背景にあると思われます。

詩恩
そうだったんですね。戒厳令前に金建希夫人がホステスだった経歴をあげつらいながら尹大統領を「批判」するFacebookの書き込みを観ました。投稿したのは50代後半ぐらいの在日コリアンの男性でしたね。わたしも尹大統領には批判的ですが、大統領夫人がホステスだった経歴を標的にする言説は女性差別であり、職業差別だと思ったんです。なので、横断幕の言葉にドキりとしました。大統領夫人への批判について、シアさんはどのように思われましたか?また、デモに参加していた人たちの反応はどうだったのか伺いたいです。

シア
ホステスの経歴は今のところ本人は全く認めていませんが、ホステスという職業ではなく、彼女は経歴詐称や裏で戒厳令をそそのかすなど、話しきれないほどの悪行をしていると思います。釜山で開かれた弾劾デモで、自分を「ホステス」と名乗った女性がスピーチをしたとき、誰一人「ホステス」という職業を揶揄する人はいませんでした。むしろ勇気ある行動に、拍手を送っていましたね。ただ、これは一つの例に過ぎなくて、韓国の社会ではホステスに対してどうしても少しの差別が含まれていると思います。だから、非難するとしても、職業差別にならないようにしないといけないところですね。

詩恩
お話を伺っていて、「韓国」や「韓国人」ではひとくくりにできない実態がありますね。日本にいるといかにも「韓国」がひとつになっているように思ってしまいます。
民主主義はさまざまな個人で成り立っているはずなのですが。
今回のデモはあらゆる個人が好きな角度で参加していたと思いました。なので、デモに参加したひとりひとりの話を聴きたいです。シアさんが参加されたときにどんなひとを見かけましたか?

シア
直接デモに参加はできないけれど、国会周辺のカフェやレストランなどで先払いをしてくれた人もたくさんいます。有名人だけでなく、一般人たちもみんな力を合わせてくれて、XやYouTubeなどで情報が拡散されました。特にフランチャイズより個人経営のカフェに多かったらしく、細かいところまで気を配る心遣いに感動しました。わたしも金曜日のデモに行ったときに、おかげさまで温かいコーヒーとクッキーをいただきました。

本当はコーヒーだけいただいて、クッキーは自分で払うつもりだったのですが、ほかの方がすでに先払いしてくださったということで、ただでもらってしまいました。「え、こんなにいいのかな」って、ちょっと申し訳ない気持ちもあったけど、素直にうれしかったです。
そのほか、先払いの店以外にも、各団体からのボランティアで温かい飲み物や軽食、ホッカイロなどの無料配布が続きました。
さらに、市民たちが自発的に女子トイレなどにナプキン、おやつ、ホッカイロなどを置いていたのも心が温かくなる話でしたね。

弾劾デモに参加した人のために、先払いを受けたカフェが用意したホッカイロ。撮影:シア

詩恩
身体も心も温まりそうですね!こういうときにちょっとした心遣いがあるととても安心します。そのほかに、シアさんはどんなひとたちと出会いましたか?

シア
若い女性、LGBTQ+、障害者の参加が目立ちました。恐らく尹大統領の政策にずっと不満を持っていたのと、これまでも長く声を出していたのが、今回のデモで光が当たった気がします。主催者側も、さまざまなマイノリティーに対して差別的な言動をしないように、と呼び掛けていました。いろんな世代の人が集まったし、お互い支えあって、挨拶をして、一つになったのはとても意味のあることだと思います。わたしは友達に「尹大統領は望まない形だけど大統合を遂げたよね」と苦笑いしながら言ったくらいです。今回のデモの様子を見て民主主義を守る市民の姿に気高さを感じました。大変な時でもお互い支えあう一方で、残念ながら市民の足元にも及ばない政治家が多すぎると思いました。

デモが終わった後、自発的にチラシなどのゴミを拾い集める市民たち。撮影:シア

詩恩
韓国についていつも思うのですが、生きてきた時代によって、まったく違いますよね。
李承晩(リ・スンマン)時代、軍事政権時代、そして、民主化以降。世代間のギャップがものすごいのではないでしょうか?母と話をしているといつもギャップを感じます。2013年に私の釜山への留学が決まったとき、母から「電話は夜中にしなよ。盗聴されてるかもしれないから」といわれたんですね。朴槿恵(パク・クネ)政権でしたけど、いったいいつの話だよ、と思いました。もしかしたら、わたしの話も韓流好きな高校生からしたらと話すと昔話を話しているように思われるのかもしれません。

わたしの親世代の在日コリアンの60代から上のひとたちの話を聴いていると、軍事政権時代の韓国で止まっているような感覚なんですよね。なので、彼、彼女たちの話は「軍事政権時代はよかった。パルゲンイ(アカ)はダメ」となるか、民主化運動を褒めすぎて「軍事政権は打倒しなければいけない。北朝鮮はただしい」のどちらかの意見に極端に振れてしまっているんですね。あまりにも極端でこわいんですよ。わたしの親戚なんて父方は韓国に殺されてますし、母方は北朝鮮に殺されてますから。

シアさんからの目から見て、現在の韓国での世代間ギャップはどのように映っていますか?

シア
「盗聴されるかもしれないから、夜に電話して」は生まれてから一度も聞いたことがないです。それだけ危なかったのでしょうね。
どこの国でもある話ですが、韓国は政治・経済ともに急速に発展してきたので、世代間のギャップは感じます。いま起きている社会問題の多くがお互いの世代を理解できないことから来ていると思います。特に今の若い世代、私も含まれる1981年から2010年に生まれた世代はMZ(ミレニアル世代とZ世代を合わせてエムジー)世代と言われ、「根性がない、常識が足りない」とマスコミから叩かれがちでした。そんなMZ世代が、今回の弾劾デモに多く参加したことで、世代間の理解が深まるんじゃないかと思うんです。昔、自由は当たり前ではなかった。でも今の世代は生まれながら自由は当たり前だったじゃないですか。だからこそ、今回当たり前を奪われてものすごく怒ったのかもしれません。

弾劾が可決されたあと、清々しい表情で帰る市民たち。撮影:シア

詩恩
当たり前を奪われてものすごく怒った気持ちは分かる気がします。戒厳令を通じて、わたしが反逆者になるかもしれないみたいな不安に陥るとは思わなかったんです。デモが起きたことにホッとする反面、おなじできごとを絶対に繰り返してほしくないです。権力にいつ殺されるか分からないみたいな気持ちを抱えるのはもうごめんです。のんびりすごしたいです。

シア
戦争を含め、同じ出来事を絶対に起こしてはいけないですね。12月12日に2度目の弾劾案が可決され、尹大統領の職務はいったん停止されました。しかし、油断はできない状況です。反省の弁どころか、「最後まで戦う」と言っている相手なので、憲法裁判所で弾劾案が容認されるかどうかを見届けなければなりません。一体誰と戦うつもりなのかわかりませんが。内乱罪を含め他の刑事捜査も残っています。それまではずっと政治的な混乱は続くと思います。今でも与党や尹大統領の周りは、刑事捜査や弾劾の裁判を邪魔をしています。憲法裁判所の認定により大統領職を罷免されるまで、決して安心はできません。

詩恩
シアさんは今回のデモを通じてどんなことを思いましたか?

シア
今回の事件で一つ分かったことがあるとしたら、民主主義はとても不安定なもので、市民が見守らないと奪われてしまうということです。わたしも、政治に関心が低かったことをとても反省しました。これからシニカルな態度だけはやめようと思います。そのためにも、ちゃんと自分の目で見て、判断して、どうすれば繰り返さないか考える力を養わなければならないと痛感しました。この戒厳令で国家的に打撃を受けましたが、これをきっかけに韓国の民主主義は一段と成熟すると思います。尹大統領の弾劾は、スタートにすぎません。

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