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INTERVIEWマイノリティ女性は声をあげてきた、でも…2021年に考えたい「日本のフェミニズム」の問題点【フェミニズム研究・飯野由里子】

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フェミニズムやブラック・ライヴズ・マター、そしてフェミニズム内部でのトランス排除問題に関連して耳にすることが増えてきた単語「インターセクショナリティ」。しかしその意味を詳しく知っている人は意外にも少ないのではないか。


前編では「交差性」とも訳されるインターセクショナリティという考え方が登場した経緯、そしてなぜインターセクショナリティの考え方が必要かを東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センターに所属し、クィアと障害、フェミニズムについて研究している飯野由里子さんに聞いた。



前編:フェミニズムで必須の概念「インターセクショナリティ」、なぜ日本で知られていないのか【フェミニズム研究・飯野由里子】



後編では、日本のフェミニズムにおいてマイノリティの声がどのように扱われてきたかを聞く。



本記事はSisterleeとNOISIEが共同で企画しました。(前後編の後編です)

マイノリティ女性と対話する動きはあったが…

――前編では、日本においてインターセクショナリティという言葉や考え方が広く知られていない理由について伺いました。しかし、日本にもマイノリティの女性は数多くいるわけですし、過去にマイノリティ女性からマジョリティのフェミニズムに対して、異議申し立てはなかったのでしょうか。

たしかに在日コリアン女性や障害女性、部落女性による運動など、マイノリティ女性の運動は数多く存在しています。また、マジョリティのフェミズムの中でもそういった運動について学ぼうとする動きや、対話しようとする動きはありました。

しかし、「マイノリティの問題について学びましょう」という姿勢だと、自分のマジョリティ性を直視したり、問い直したりせずに済んでしまいます。「勉強になった。よいお話を聞いた」で終わってしまう。

結果、フェミニズム系の研究会やイベントにマイノリティ女性が呼ばれ、登壇するんだけれども“マイノリティの陳列”になってしまい、マジョリティ中心の構造自体は問われないままという状況があったのではないかと思います。

飯野由里子さん

――そのような状況を象徴するようなエピソードはありますか。

いくつか思い浮かぶものがありますが、比較的最近のエピソードですと「バックラッシュをクィアする」というシンポジウムでしょうか。

2007年に、日本の代表的なフェミニズムの学会である日本女性学会が、年次大会で実施するシンポジウムのテーマを募りました。そこに、若手グループから、クィアの視点から、批判的な内容も含めてフェミニズムについて考える「フェミニズムをクィアする」というテーマが提出され、一旦選ばれました。

しかし、当時はまだジェンダー・バックラッシュ(*)との激しい闘いが続いていた時期です。「フェミニズムをクィアしたら、フェミニズム内部に分断が生じてしまう」と懸念した幹事などから「バックラッシュをクィアの視点から批判してもらったらどうか」という意見があったそうで、「バックラッシュをクィアする」というテーマになってしまった。

*……ジェンダーの平等を目指す運動に対して社会全体で起きた、大きな反発のこと。日本では2000年代に起こったとされることが多い。

――「バックラッシュをクィアする」、なんだかピンとこないテーマですが……。

そのようにテーマを変更した上で、当日は性的マイノリティであることをカミングアウトしている研究者たちをシンポジウムに登壇させます。それに対してフロアから批判がありました。「いつも同じことをしている」「マイノリティを前に並べてそれで終わりじゃないか」、と。

シンポジウムに対する批判を受け、後日、女性学会内部で研究会が行われました。そこである幹事から、シンポジウムを提案した若手グループのメンバーに対し「フェミニズム内の分断を煽ろうとしている」との批判がありました。

私もその場にいましたが、驚いたというよりは呆れました。「この人は、この場で自分に何が問われているのか、まったくわかっていないのだな」と。

外からの攻撃が「多様性」の議論を妨げた?

――「分断を煽る」という言い方が許されてしまうのであれば、フェミニズム内でマイノリティの意見があがってこなくなるのではないかと思います。しかし、2000年代に「バックラッシュ」という外からの攻撃があったから、インターセクショナリティに問題意識が向かなかった、という側面もあったのではないでしょうか。

バックラッシュによって日本のフェミニズムが防衛的になったのは事実だと思います。揚げ足を取られてはいけない、分断を煽られてはいけないと自己防衛、自己保身に走った。

そのような状況で、フェミニズム内の多様性をどう維持するか、マイノリティの声をどう反映させていくかという問題意識は後回しにせざるをえなかった、という感覚はあるでしょう。

でも、私は「卵が先か、鶏が先か」ではないですが、そうした問題意識がフェミニズム内部に欠けていたことが、ジェンダー・バックラッシュとの闘いを制約したところもあるんじゃないか、と考えています。

――というと?

一般的にバックラッシュは2000年代に始まったとされますか、実は、歴史認識をめぐる問題から始まっています。1996年〜1997年ですね。

日本軍戦時性暴力の問題に取り組んでいた人たちは当時から激しい攻撃にさらされていました。それにもかかわらず、そしてこれは自戒を込めて言うのですが、多くのフェミニストはそれを自分の問題としては認識していなかったのではないでしょうか。

当時は、1999年に施行される男女共同参画社会基本法に象徴されるように、フェミニズムが主張してきたいくつかの課題が国や行政の課題としても認識され始めていくという流れもありました。

つまり、フェミニズムが取り組んできたさまざまな課題のうち、ある課題は攻撃され、別の課題は社会の主流に位置づいていくといったことが起きていました。

後者の課題に取り組んでいた人たちは、前者の動きが自分たちのところにまで及んでくるとは想像していなかったのではないでしょうか。どこか他人事のように思っていたから、警戒心がないままバックラッシュをあそこまで大きくしてしまったのではないかと思います。

その意味で、当時の日本のフェミニズムがバックラッシュに対して有効に対応できなかったのは、インターセクショナリティの視点を欠いていたことに一因があると思います。

「性別二元論」を肯定してしまった

――なるほど……。2017年に「道徳的保守と性の政治の20年」という研究会で、バックラッシュに対抗するため、当時のフェミニズムは性を「男」「女」に分類する「性別二元論」をも肯定してしまった、とおっしゃっていましたね。

はい、そんなこともありました。よく覚えているのは、当時大学院生だった私に、あるベテラン研究者が二者択一的な議論を持ちかけてきたことです。

「バックラッシュ側は『フェミニズムは男らしさや女らしさを否定している』『文化を壊そうとしている』『中性人間を作ろうとしている』と攻撃してきています。

そこで、『フェミニズムは男らしさや女らしさを否定しているわけではありません。性差別を問題にしているんです』と言いたい。飯野さんはどう思いますか」と。

――飯野さんは、どう答えたんですか。

私は「フェミニズムは男らしさや女らしさの作られ方を問題にしていると思います」と答えました。男らしさや女らしさは社会的に構築されるものですが、それが非常に固定的であったり可能性の幅が狭かったりすることで、多くの人の生きづらさや、差別につながっている。フェミニズムはそのことも問題にしている。つまり、性差別を問題にしているだけではなく、ジェンダーの自由も求めてきたはずだ、と。

しかし、03年の女性学会幹事会有志による『Q&A男女共同参画をめぐる現在の論点』には、ジェンダーフリーは「男らしさや女らしさを否定するものではない」という旨が記載されました。

「中性人間を……」という攻撃にしても「中性人間なんているわけないじゃないか」「右派が作り上げたイメージに過ぎない」と言うにとどまってしまった。現実には中性人間と呼ばれ、いじめられたり職を失ったりしている人たちがいるというのに。

――その後、そうした姿勢に改善は見られたのでしょうか。

昨今のトランス排除の風潮を見ると、改善どころか偏見を強めているんじゃないかと思います。

90年代のジュディス・バトラーによる『ジェンダー・トラブル』の刊行以降、生物学的・本質的な性差が存在しているのではなく、セックスもジェンダーも社会的に構築されている、という理解が浸透したと思っていたのですが、実際にはそうではなかったのかもしれません。理解しているようなポーズを取っていただけなのかもしれません。

ジェンダー現象の複雑さを脇に置いて、ジェンダー問題を男女間の不均衡の問題のみに還元して語ろうとする人が増えているのだとしたら、それはすごく問題だと思います。

「単純さ」に対して、警戒心を持ってほしい

――現在、フェミニズム内部のトランス排除の風潮が問題になっています。排他的でない、包括的なフェミニズムの理解を広めていくためには、今後どうしたらいいのでしょう。

難しいですね。私もまだ答えが見えていないのですが……。一つ言えることとしては、トランス排除の動きが決して局地的なものでなく、国際的な広がりをもったものであるという点をおさえておく、ということでしょうか。より広い視野からこの問題を捉えていく必要があります。

TRANS INCLUSIVE FEMINISM」など、他国のトランス排除に対抗する言説を紹介するサイトも存在しますので、ぜひ活用してください。

また、問題に対する単純な理解、単純な解決方法に疑問を持つという姿勢も大切です。

社会は複雑ですから、私たちが直面する問題も見た目以上に複雑です。いろいろな軸が交差して出来上がっています。何らかの問題を解決していこうとする時、個人や特定の集団のみに変容を迫ってもうまくいかないのはそのためです。特定の個人、特定の集団を問題の原因とみなして攻撃するのではなく、その問題を生み出している複雑な構造を見ていこうとする努力が求められています。

そして最後に、フェミニズムに「アイドル」や「スター」はいらない、ということも言っておきたいです。たとえば、いま私はこういうふうにインタビューを受けているわけですが、私が言っているからといって、すべてを鵜呑みにしないでほしい。

私の視点がある種のマジョリティ性を帯びていることで、勘違いをしていたり見えていなかったりすることがたくさんあります。一個人をアイドルやスターのように祭り上げてしまうと、その事実が隠されてしまう危険性があります。

物事を単純に理解したい、権威に頼りたいという気持ちは多かれ少なかれ誰もが持っているものだと思うので恥じることはありません。しかし、そうした誘惑に流されていっている自分に気づいたときに、どういった選択をするのか。それが、これからの私たちに問われているのだと思います。

飯野由里子(東京大学特任助教)
東京大学大学院教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター特任助教。ふぇみ・ゼミ(ジェンダーと多様性をつなぐフェミニズム自主ゼミナール)運営委員、OTD(組織変革のためのダイバーシティ)普及協会運営委員。専門はジェンダー、セクシュアリティ、ディスアビリティ研究。

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Photo by Patrick Fore on Unsplash

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SNSで趣味について発信している有志が運営する、インターネットとフェミニズムのメディア『Sisterlee(シスターリー)』編集部員。最近は中華、スパイスカレー、パフェにハマっている。

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