「好き」を「好き」なままでいる難しさ
「#おうち時間」「#stayhome」という単語も聞き飽きてきた今日この頃。
家にひとりでいると、小さい頃好きだったもののことをよく思い出すようになった。
好きだった小説、漫画、アニメ、お菓子を作ったり手芸をしたりすること。
とくに小学生の自分にとって大切だったのは「物語を書くこと」だった。
「小説」などと言えたようなものではなかったけれど、読んだ本や漫画に影響されて空想した話をノートに書いて、こっそり友達に見せたものだった。
あの頃の夢は「小説家」で、先日同窓会で開けたタイムカプセルから出てきたのは友達と一緒に作ったラジオドラマ(風)の台本と録音テープだった。台本は恥ずかしすぎて直視できず、当時の自分たちの声を吹き込んだ録音テープは聴いたら死に至る危険性があるので到底再生はできなかったが、大切な思い出である。
そんな子どもだった私も立派なアラサーになり、ほんの最近まで「小説家になりたかった」ことなど忘却の彼方であった。
「好き」を「好き」なままでいることは難しい。
単純に興味が変わって別のものを好きになることもあるが、誰かに「それは変だよ」「おかしいよ」「変わっているね」などと言われると、自分が傷つかないために「好き」な気持ち自体を葬り去ってしまうことが多い。周りからの評価が学校生活を大きく左右する思春期はとくに。
私の「お話を書くのが好き」も、そうやっていつのまにかどこかへ行ってしまっていた。
一方で、自分の「好き」に人生をかけて、まっしぐらに生きている女たちがたくさん出てくる漫画がある。『かげきしょうじょ!!』(白泉社)である。
“大正時代に創設され、未婚の女性だけで構成された『紅華歌劇団』。その音楽学校に入学した少女たちの青春物語”
読んでわかる通り、宝塚歌劇団とその劇団員養成所である宝塚音楽学校をモデルにした青春漫画だ。
「女だけの音楽学校の話」と聞いて、いわゆる”女のドロドロバトル”的なものを想像する人もいるかもしれないが、少し違う。
登場人物はみんなそれぞれに夢のために何かを断ち切ったり、心に抱える思いを持って入学してきているので、本気でぶつかり合って衝突したりギスギスしたりすることもある。たまに意地悪な手を使う人も出てくる。けれどそんなのは男だけの世界にだってあるはずだ。
女が本気になって上を目指して戦う様はなぜ「ドロドロ」と形容されるのか。
みんな好きだよね女のドロドロ。男のドロドロって言わないのにね。
“嫌な女”聖先輩の話
本題に戻って、『かげきしょうじょ!!』のなかで最も自分の「好き」に人生をかけて生きていると個人的に思っている人物の話をしたい。
野島聖(ひじり)先輩は、主人公たちの一学年上の「指導役」である。美人で実家はお金持ちで成績も優秀だが言葉に棘があり、同期生たちからも距離を置いている。「意地悪な手を使う人」というのは彼女のことだ(主人公をSNSで炎上させようと画策する場面がある)。
根っからの悪い人ではないというのは節々に感じさせつつもいわゆる「嫌な女」な役回りに最初は見えるのだが、コミックス5巻に出てくる聖先輩のスピンオフ過去エピソードで私は号泣することになる。
聖先輩は幼い頃から綺麗なものや可愛いものが大好きで、歌劇団という「キラキラした笑顔で人を幸せにする職業」に憧れていた。しかし大好きなフリフリの洋服を着て小学校へ行くことや、「女が男の格好をする劇団」が好きなことをクラスメイトから「変だ」と言われてしまう。
高校生になっても聖先輩の「好き」は変わらず、音楽学校合格を目指しながら、憧れの可愛くてキラキラした女性アイドルの握手会に足繁く通って元気をもらう日々を送る。
けれど、クラスの女子グループには自分の本当の夢を明かせるような人はおらず、また男子は聖先輩の容姿をちやほやしてくるのでその点でも疎まれ、どこか浮いた存在だった。
やがて音楽学校を目指していることを隠しきれなくなり、一人の女子に話してしまうのだが、「女性アイドルが好き」「女が男装をする劇団を目指している」ことから今後は「聖はレズビアンだ」という噂が広まり、さらに孤立してしまうのだった。
好きなものには好きしかないから
「レズビアン」 が陰口のネタになるのがそもそも無いわー案件なのだが、聖先輩は噂を否定も肯定もしなかった。
代わりに「 私の「好き」は嘘も本当もないから!男でも 女でも 好きなものには好きしかないから!」 と言い放ち、翌春に学校を去った。もちろん音楽学校に入るために。
聖先輩の胸には、一番好きなアイドル小桃ちゃんの「私のことを嫌いな人のために悩んでもしょうがない」という言葉が深く残り、以来「誰にどう思われようが構わない」と考えて、音楽学校でも前述したような振る舞いをするようになった。
彼女の棘のある言葉や行為は自分の「好き」を守り、貫くための鎧だったのだ。
「好き」に言い訳も前置きも性別も年齢もいらない、なんて言わなくてすむ世界
私は聖先輩が棘を持たずに育つことができた未来のことを考える。
もし彼女が自分の「好き」を誰からも否定されずに大きくなっていたら、違った展開になっただろうか。ひょっとしたら周りから否定されることでむしろ「好き」への執着は強くなったのかもしれないけれど、やっぱり私は「好きなものには好きしかない」 なんてことは当たり前な世の中がいい。「好き」にまっしぐらな若者がそんな言葉をわざわざ言わなくてもすむ世界がいい。
料理が好きな人、苦手な人。
ピンクが好きな人、黒が好きな人。
子どもが好きな人、嫌いな人。、
異性を好きになる人、そうじゃない人。
どんな性別や年齢の人にもみんな自分の「好き」があって、そのことに言い訳も前置きもいらないのだということを聖先輩は教えてくれた。
聖先輩にはこの後さらに泣かされることになるのだが、そのエピソードはぜひ漫画で読んでいただきたい。
ほかにも『かげきしょうじょ!!』にはいろんな女の子が出てきて、全員魅力的で全員に泣かされる。「泣けるかどうか」がキャラクターの良し悪しとは思わないが、本当に全員応援したくなり、また自分も頑張らねばと思える作品だ。
まだまだ続く”おうち時間”に是非読んでほしいし、”おうち時間”じゃなくても読んでほしい。
また、モデルとなった宝塚歌劇団について知っているとより漫画も楽しめるので、気になった方は宝塚の沼にもおいでください。はまって一年の新参者ですがとても楽しい沼です。ぜひおいでませ。
試し読みはこちら。
「かげきしょうじょ!!」白泉社WEBサイトはこちら