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水谷さるころの「マンガが教えてくれるジェンダーの話」03

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今回はマンガじゃなくて…。マンガ家の田房永子さんのエッセイ本「「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました」についてです。

田房永子さんのマンガは常に自己の探求であり、自分の辛さと向き合うテーマの著作が多数。自身の母親との関係について書かれた「母がしんどい」や自身の出産経験を綴った「ママだって人間」、キレてしまう自分を克服した「キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~」などなど、毎回自分で体験したことを分析、考察しすごい密度で綴っておられる、私の尊敬すべきマンガ家です。

今回はその中のマンガではないエッセイ「「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました」について、まずタイトルがすごい…! ですが、内容は男性嫌悪を抱えたまま、男の子を育てることに不安を抱いた田房さんが、今までの人生における男性との関わりを見つめ直していくエッセイです。田房さんの内面がものすごい密度で描かれていて、グルーヴと迫力に満ちています。

ミサンドリー(男性嫌悪)の自覚

田房さんは男の子を出産します。そして第一子が女の子のときは感じないで済んでいたことに気がついてしまうのです。0歳児の息子の中に「男性としての眼差し」があると感じている自分です。
0歳児の赤ちゃんが自分を「女性」として見ているはずはない。でもそう感じてしまう。それは自分の心の中の問題であることに田房さんは気が付きます。

そして「男性を嫌悪している」ことを自ら認め、そして「なぜ男性を嫌悪するのか」と向かい合っていきます。過去の痴漢経験やエロ本で記事を書いていた頃の体験、過去の恋愛などから男性に不信感が募っていったエピソードが綴られていきます。この本の半分くらいまで「自分は男性を嫌悪しているのでは」と思い当たるまでの道のりが綴られています。…それを読んでいて共感できるところはありつつも「私ってあんまりミサンドリーが無いのかも…?」と感じました。

ちなみに私は田房さんの2歳年上で、同世代。田房さんと同じく東京都内の女子校に電車通学していました。なので、もちろん痴漢被害は受けたことがあるし、学校の周りにも変質者がよく出没していました。
社会に出てからの男性からの扱いにも心当たりがあるし。わかる~! と共感して読みました。でも「男性」に対して田房さんほどは嫌悪はしていないような…。と気が付きました。

なんであまり男性に不信感がないのかを考えて見ると私の生育環境にあると思います。田房さんは1人っ子でしたが、私は4人きょうだいです。姉2人と、同い年の弟がいます。私は男女の双子として「男の子と一緒に」生まれました。我が家は父も穏やかなタイプなのですが、弟もケンカしても絶対手を出さない穏やかな男でした。そんな弟と同時に生まれて一緒に育ったのは私の男性観に大きく影響していると思います。

私は弟を見ながらずっと「男のほうがいいな」と思っていました。田房さんもずっと「男のほうが自由でいい」と思っていたようなのですが、私はおだやかな弟に比べて「私のほうが行動力はあるし、野心的だし、絶対私のほうが男のほうが向いてたのに…!」と思っていたのです。

でも、社会に出てマッチョな考えの男性に「女」として型にはめたような扱いをされたり、嫌な経験をすると、徐々にその「男らしい」振る舞いにネガティブな気持ちを持つようになりました。
「弟よりも男に向いてる」私が疑問も持たずに「俺は男だ!」と生きていたら、私が「なんだこいつ…」と感じたような「嫌な男」になってただろうな…と気がついてしまったのです。なので男性に対して、他人事とはどこかで思えない同情的なところがあるのだと思います。

田房さんは学生時代、男性のほとんどが「痴漢をする」と思っていたらしいのですが、私は弟をみて男性のほとんどが痴漢でないと思っていたし、弟の友達が痴漢被害にあった話なども聞いていました。なので環境の違いは大きいのかなと思いました。

田房さんは、自分が「9.8割の男性は性犯罪者」だと思っていることに気が付きます。男性の3割がイケメンで、0.5割の男性はまともに話せるけど、その人達も全員「性犯罪者」の中に入っている。
この男性嫌悪をもったままで、まだ赤ちゃんである息子と接していいわけがないと、この男性観を矯正しなければならないと決意するのです。

ミサンドリーとの向き合い方

編集部注:以下「男心」「女性的な振る舞い」などジェンダーロールの強い言葉が出てきますが、田房さん自身の納得に必要な言葉として書籍内で使用されているので、記事内でもその通りに使用します。

ミサンドリーを自覚してから、この本の後半は田房さんと夫の話になります。田房さんは第二子を出産したあとの最も大変な時期を夫と力を合わせて10ヵ月…密な関係性で過ごした後に、大げんかが勃発。田房さんの夫が家を出てしまいます。

そんな田房さんが占いに行くと、占い師は田房さんと夫の関係を「女帝と奴隷です」と指摘します。そして「夫さんを王様にしてあげてください」と言われるのです。
田房さんは今まで男性に対して「女性的」な振る舞いを避けていたことを指摘され、そして「男心」を知ることを勧められます。田房さんは、男性を「性暴力加害者」だと思っているので、男性の「心」を認めることができなかった…。だったら「男心を学ぼう」と行動し始め夫以外の男性と話す機会を作ります。

田房さんは男性相手に話しているとミサンドリーゆえに「上に立ちたい、下になんか行くもんか」と思って口だししてしまうことに気が付きます。でも、夫との初めてのデートのときはキャバクラっぽい(と田房さんが感じる)「下に立つしゃべり方」をしていたことを思い出すのです。田房さんは「それは私にとって、誰かに屈することじゃない。タカちゃんが大好き、って気持ちを、ただ表しているだけだ」と気が付きます。

ここの流れで「結局、女は男に媚びを売れってこと?」と解釈してしまう人も中にはいるようですが、私はそうではないと思います。なぜならそれではミサンドリーは解消できないからです。相手の機嫌をとるために自分を曲げてサービスをしたとしても、それは「被害者」のままです。

「男は」じゃなくて「その人が」どういう態度を取ったら「喜んでくれるのか」。こちらの好意を感じられるのか…ということを考えないといけないんですよね。それが田房さんの家では「夫にわかりやすく好意を伝える」だったのです。

「男心」と言われるとなんだか違和感があるかもしれませんが、田房さんが「男」だと線を引いていたその線の向こう側の「男」にも人としての「心」があるのだ、と言われてみれば当たり前のことに気がついたということです。田房さんは「9.8割の男性は性犯罪者」だと思っていたので「男の心」の存在を認められなかったのです。確かに「心がある人間」が性犯罪をするとは考えたくないですよね。

ちなみにこの本のタイトルは「「男の子の育て方」を真剣に考えてたら夫とのセックスが週3回になりました」ですが、夫とのセックスが週3回になりたい人が読んでもその方法は得られないと思います。そして、ミサンドリーの克服のやり方が書いてあるとも思いません。ただ、田房さんが田房さんのやり方で田房さんのミサンドリーを克服するまでの「思考の過程」が描かれています。私は田房さんの心のロードムービーを見たような気持ちになりました。

クライマックスはセックスセラピストの本を読んだ田房さんが心の中にある「おちんちん」と向かいあうエピソードです。かなり抽象的な「おちんちんワーク」…私には心に残る思い出のおちんちんもなく、共感はできなかったのですが、おちんちんワークのグルーヴに飲み込まれ、謎の達成感を味わいました。むしろ思い出のおちんちんがないことが悔やまれます。

加害と被害

この本の「被害と加害について」の章でも書かれているのですが、「被害者をやりきってやっと加害者としての自分に向き合える」という話があります。田房さんはずっと自分が被害者側の体験をテーマに作品を描いていました。そこで被害者をやりきってから次の段階として自分の加害性に向き合った「キレる私をやめたい」を発表します。その後に出版されているこの本は、田房さんが自身のなかにある強者性を発見して認める話なのではないかと思うのです。

フィジカルでも社会的にも男性が「強者」なことが多いので女性が被害者になりやすいのは事実です。圧倒的に女性が男性からの被害に遭いやすいので、女性から男性への不信感が「ミサンドリー」になります。ただ「強弱」だけの観点で言えば、女性は常に弱者と限らない。

実際、田房さんの夫婦関係は田房さんは強い立場にあった。それを田房さん本人が認めないので関係性がうまくいかなかった。田房さんが自身の「強者性」を受け入れることで、夫に対してだけは「男性への対抗意識」を燃やさずに「女性的な振る舞い」ができるようになった。これは「仕方なくやる」わけではなくて、自分がそれを選択できる立場であることを受け入れたゆえにできるようになったのだと思います。

この行動を「選択できる」というのは極めて重要なポイントです。
私の夫は子どもにキレて、子どもを叩いたりしていました。一度子どもを叩いたのでやめるように言い、それを本人も承諾したにもかかわらず再び叩きました。それは本人がその行動を自分で「選択」しているのではなく「コントロールできていない」状態です。なので我が家は夫婦でカウンセリングに行くことにしました。

夫はカウンセリングを受けて「自分がなぜ衝動的に子どもを叩いてしまうのか」ということと向きあいました。そこには「自分で自分を承認できていない」という心理があったのです。承認を他者に依存しているため「父親としての自分」が否定されたと感じるとパニックになり、自分の心を守るために過剰防衛として子どもに対して必要以上に「キレて」いたのです。

しかしその事実を自分で認めることができると、「いま自分は傷ついているのだな」と認知できるようになります。すると、傷つきを解消するための行動が選べるようになるのです。自分の傷つきを受け止めると同時に相手に対して自分が「強者である」自覚がもてると「子どもを叩く」行動を「選ばない」ことができるようになります。

ずっと男性に対して被害経験からきていた嫌悪を感じていた田房さんが自分の強さを自覚し「性暴力加害者」だと思っていた「男性」にも「心がある」と思うことができるようになった。そして自分が男の子を育てるうえで赤ちゃんである息子を「性暴力加害者」ではなくて心のある人間だと純粋に思えるようになり、息子さんの行動を性加害と結び付けずに見られるようになった。これは自分で行動を選べるようになった、ということだと思います。

自分の「強さ」を自覚する、のは結構難しいことです。それは同時に「加害者になるかもしれない自分」を認識することでもあります。自分が被害を受けた場合「弱者」であることは理解しやすいのですが、自分が誰かにとって「強者」であり加害しているかもしれないということは、実は認知するのが難しいのです。

DVやモラハラをするタイプの男性は、特にこの「強者性の自覚」が足りてないと感じています。男性社会での優劣や競争が基準となっていて、その中で「自分は強者ではない」と刷り込まれた男性は「女性や子ども」に対してもそのまま「自分は強者ではない」「これくらいのことはたいしたことではない」と、無自覚に加害的な振る舞いをしているように見えます。

そのように女性は男性から被害を受けやすい構造があります。
ですが、常に弱者であるとは限りません。生まれた場所や環境、心身の健康、性的指向、性自認、そういったありとあらゆる要素から「強者」であるシーンがあります。
私自身も、過去に自分が手にしているものは「当たり前」のように感じ、「無いもの」ばかりを数えていたことがありました。「私にもできるのだからあなたもできる」などと、不用意な発言をして人を傷つけたこともあります。その時に自分が健康であることや、自分の好きな仕事をしていることなどが立場的に「強い」こともあるのだと知りました。

そして母親になれば子どもに対しても強者になります。「強さの自覚」がなければ自分よりも弱者であるはずの子どもに対して「どうして私を困らせるの」という被害者目線になり、自覚のなさゆえに加害的な行動をとりかねない。私は自分より弱い立場の人間を加害したくないので常に「強さの自覚」を忘れないようにしています。

この本の後の作品、男社会の加害性について書かれている『男社会がしんどい ~痴漢だとか子育てだとか炎上だとか~』にも、田房さんのアクションに怒りまくっている男性達(怒メンズ)について書かれていますが、彼らからみて「自分が恐い存在に見えているのかもしれない」と相手を理解しようとする視点があります。これは「強さ」の自覚あってのものですし、この作品に書かれていた「男心を考えてみよう」とする姿勢だなと思いました。

とはいえ、自分の強さを自覚してみようとしても、すぐにミサンドリーが解消するわけではないと思います。ミサンドリーは基本的には信用できない相手への警戒心とそこからくる嫌悪感です。田房さんもすべてのミサンドリーが解消したわけではないと思います。

家族が信頼しあい、親子や夫婦が加害者にも被害者にもならない関係になりたい。コミュニケーションがうまくいかなかったり、相手に加害を指摘されたとき、自分の中の「強さ」に目を向けて自覚して「相手からは自分が強く見えているかも?」という視点が持てれば、加害も被害もない関係になれるのではないでしょうか。
私は身近な生活の中で、加害も被害も、支配も服従もない「信頼」を元にした関係を築きたい。この本はそういう理想に近づくために試行錯誤した田房さんの記録なのだと思います。

ミソジニーの解消方法や、夫との信頼の築き方、この本に書いてあることはすべての人に当てはまることではないとは思います。ですが、パートナーシップや親子関係について何かしらの気付きを与えてくれるのではないでしょうか。

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1976年千葉県生まれ。女子美術短期大学卒業。1999年マンガ家デビュー。2008年、CS旅チャンネルの番組「行くぞ! 30日間世界一周」に出演、その道中の顛末を『30日間世界一周!(全3巻)』としてマンガ化。2009年に引き続き「行くぞ! 30日間世界一周 2周目!」に出演。その旅は『35日間世界一周!!(全5巻)』として刊行された。30歳で初婚、33歳で離婚、36歳で再婚(事実婚)し38歳で出産。現在は1児の母。2016年に自身の結婚にまつわる体験を『結婚さえできればいいと思っていたけど』として出版。以降『目指せ! 夫婦ツーオペ育児 ふたりで親になるわけで』『どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している』など結婚にまつわる著作がある。自著では装丁も全て手がけている。趣味の空手は弐段。古墳好き。

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