いろとりどりの「家族のかたち」 〜パートナーシップと多様な”幸せ”について考えよう〜
https://chinjyo-action.com/event201912/
明治大学教授で、「自治体にパートナーシップを求める会」世話人の鈴木賢さんや「結婚の自由をすべての人に」訴訟東京弁護団共同代表の寺原真希子さん、「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション事務局長」井田奈穂さんらがパートナーシップや多様な幸せについて講演。約100人が参加した。
多様な家族が認められるために権利の拡張を求める裁判が全国各地で進行しており、訴訟の状況や各自治体の動きなどについても話が及んだ。いま議論すべきことは、どのようなことだろうか。
同性婚と選択的夫婦別姓、それぞれが目指すもの
はじめに登壇した鈴木さんは、性的マイノリティの生きづらさの根源は性別二元主義と強制異性愛主義だとしたうえで、「同性婚への助走としてパートナーシップ制度を求める運動を始めたが、同性婚はゴールではなく家族の多様化への一里塚。重要なのは婚姻してもしなくてもいい社会になること、そして婚姻しない人も差別されないこと。決して、婚姻制度万歳ではありません。」と説明した。
寺原さんは、「訴訟で国側から、『婚姻は伝統的に生殖と結びついているから男女間の結合を前提としている』と言われた。しかし異性カップルの婚姻の要件になっていない生殖を同性同士だと着目することがおかしい。昔は生殖が重視されていたかもしれないが、現代は婚姻に対する意識が変化してきている。」と続けた。
井田さんは、「議論のポイントは夫婦同姓か・別姓か、ではなく、強制か・選択か。嫁入り、婿入り、入籍、家長、戸主、家督相続、父兄、などは全て昭和22年に廃止されている。選択的夫婦別姓の法改正がなされても戸籍の形は今と同じ、家族単位も変わりません。」と話した。
伝統的家族観という亡霊
同性婚も夫婦別姓も「日本の伝統的家族観を壊す」という反対意見が常に巻きおこる。
登壇した3名が話したように家族観はこれまでも常に変化し続けており、現在の伝統的家族観は70年以上前に廃止された家制度の亡霊である。婚姻する2人はそれまでの戸籍を抜けて2人で新しい戸籍を作成するため、どちらかが片方の家の戸籍に入るわけではない。したがって、芸能ゴシップなどでよく誌面を飾る「電撃入籍!」と呼べるような出来事は、この70年ほど現実の手続きに存在しない。
しかし、「家族」という枠組みを同性パートナーや別姓同士に拡張するよう要請する動きは、伝統的家族観の印象を引きついだ婚姻制度を強化する可能性もある。
貧困化する現代日本社会における家族単位や婚姻制度は、為政者にとって社会保障を家庭内の無償労働で補填する資源であり、市民にとっては生存戦略となる。
相互にその価値を増す反面、労働市場では安価で不安定な雇用条件を受け入れざるを得ない女性たちの立場の弱さを雇用者側が正当化する根拠にもなっている。
逆に男性ジェンダー側として語られる「大黒柱として家族を扶養しなければいけない」というプレッシャーも、既存の社会保障制度において家族を単位とする男性稼ぎ手モデルに起因すると言える。このシステムが、今後の日本社会でも支持されていくのだろうか。
同性婚と選択的夫婦別姓が達成された先に
同性婚や夫婦別姓が可能になったとしても、「2人1組のパートナーシップ」という規範や、家族単位の社会保障制度は残されたままである。
2017年の1年間には約60万組が結婚し約21万組が離婚した現代で、愛と性と生殖を生涯一致させる理想像は、絵に描いた餅というより呪縛の側面もあるのではないだろうか。
家族単位の社会保障で網の目から抜けおちてしまう人のいない社会こそが、安心して子供を産み育てたり、老いることのできる社会ではないだろうか。
表出する不便を解消できればよいのか。
家族という単位はセーフティネットとして機能しているのか。
婚姻制度の利用に基づき発生する権利は万人に平等か。
さまざまな差別を生み出してきた戸籍制度をいつまで維持するのか。
「かぞく」はいつまで「家の族」なのか。
わたしたちは、どの規範を終わらせて、どのような社会をめざすのか。
「いろとりどりの家族のかたち」が突きつける複数のイシューは、転換期のいまこそ議論するべき問いだといえる。
同性婚と選択的夫婦別姓が「かぞく」を拡張したのち、性別二元主義、強制異性愛主義、男性中心社会が内破され、個人の自己決定が真に尊重されることを願ってやまない。