29歳の夏、健康診断の聴力検査でDを叩き出した。
郵送されてきた結果表の1枚目に「再検査あるいは精密検査を要する」と赤い文字で書かれていて、その下に「両耳の聴力低下を認めます。お近くの耳鼻咽喉科にて再検査されることをお勧めします。」と医師の所見が記されていた。
ページをめくる。聴力検査の詳細を見る。しかし見方がさっぱりわからない。HzだとかdBだとかの横に、簡素な数字が記入されているだけ。ぼくはその結果表を折りたたみ、戸棚の奥へ押しやった。そして忘れることにした。
ぼくの家系は耳が弱い。父も伯父たちも祖父も、みんな揃って補聴器をつけている。だからいずれは自分も補聴器を使うことになるだろうとうっすら覚悟していた。でもそれはもっと先の話だと思っていたのだ。40代か50代になったら、きっと自分も肌色の機械を耳に装着しなければならなくなる。鬱陶しそうだけど、体質だし、しょうがないよな。そんな具合に。
健康診断の赤文字の通り耳鼻科に行けば、きっと補聴器を勧められる。20代で補聴器になるなんざ死んでもごめんだ。そう思って、診断結果を記憶の彼方に追いやった。「これちょっとまずいんじゃないの」と心配するパートナーの声も無視した。しかしもちろんのこと、そんなことをしたってなんの解決にもならない。
聴力検査を受ける決意を固めた理由
それから日が経つごとに、聴力の低下を体感していた。そしてついに、日常生活にも影響を及ぼし始めた。パートナーの低い声が、聞き取りにくくなってきたのだ。この「聞き取りにくさ」の説明が難しい。「聞こえる確率が下がる」というのとは違う。そうではなくて、「宇宙語」のようにしか聞こえないのだ。声が発されているのはわかるのに、まるで初めて聞く言語みたいにそれを「言葉」と認識できない。
また、高い音は聞こえさえしなくなっていった。これは文字通り「聞こえない」状態に陥った、という意味だ。体温計の計測終了を示すピピッという電子音、愛猫が要求のあるときに発する高い声。ぼくの耳はそれらをほぼ完全に拾えなくなった。
ところで、ぼくはそもそもADHD由来の聴覚過敏を持っている。フォーカス機能が生まれつき備わっておらず(聴覚過敏を持たないひとの耳にはオートマティック・フォーカス機能が搭載されているだなんて、自分が聴覚過敏だと自覚するまで知らなかった)、騒がしい場所で相手の声だけを拾うことに困難を覚える。店内のBGMも他の客の会話も、相手の声と同じ大きさですべて耳の穴に入ってきちまうのだ。
事実、10代半ばごろから聞こえにくさは感じていた。近くの席に座る声変わり済みの男の子に「ねえねえ、あれなんて書いてある?」と黒板の小さな文字を訊かれるときなんかは、何を言っているのかさっぱりわからなくて、何度も「え?」と聞き返してしまい、仕方なしに声の音量を上げざるを得なくなったその子たちが最終的に先生におしゃべりを注意されていた。
それゆえ聴力検査を受ける前から、聞き取りが苦手だという自覚はあった。でもそれは聴覚過敏ゆえで、聴力そのものが落ちているわけではないと信じこんでいた。あるいは信じこもうとしていた。けれども、どうやらそれとはべつに、聴力自体も衰えているらしい。生活のしづらさがとうとう補聴器への抵抗感を上回った。近所の耳鼻科に電話をかけて、再検査の予約を取った。
検査結果と医師の診断
結果は以下の図の通り。
そして以下が順当な加齢による聴力低下のイメージ図。
(2023,『みみから。──はじめての補聴器ガイド』, ワイデックス株式会社, 7.)
この2つの図を見比べてみると、30代だったら0〜10dBくらいの音を拾えていなくちゃならないのに、ぼくの耳は音の高低(Hz)問わず小さい音はほとんど聞こえていないことがわかる。
低い周波数の音が聞き取れないのはおそらく遺伝性だろう、というのが担当医の見立てだった。病院の検査ではカメラで耳の中(外耳)も見てもらったけれど、とくべつ問題は見当たらない。原因があるとするのなら、カメラでは見えない鼓膜のもっと奥、内耳に見つかるかもしれない(もし仮になんらかの病気の影響でこの症状が出ているならば、の話ではあるが)。
また聴覚過敏ゆえ、街を歩くときは常にイヤホンを大音量にして音楽を聴いていた。雑音で疲れてしまうから、無意識に音量を上げすぎる癖がついてしまっていたのだ。どうもそのせいで高い音も聞き取りにくくなってしまったらしい。つまりぼくの場合、先天的要因と後天的要因がかけ合わさって全体的な聴力低下に繋がってしまったようだ。
医師の診断は「中等度の感音難聴」。疾患ではないから、病名はつかない。補聴器を必要とするレベルだけど、障害者手帳の取得や障害年金の受給はできない程度。それゆえ補聴器の費用の医療費控除も微々たるものにしかならない。
※補聴器購入で医療費控除を受けるためには、購入前に補聴器相談医から「補聴器適合に関する診療情報提供書」を受け取る必要がある。「補聴器相談医」はすべての耳鼻科医とイコールではないため、補聴器を検討している場合は「補聴器相談医」のいる耳鼻科に赴き、書類を取得しなければならない。
どうにも納得いかない。補聴器が必要なほどに聴力が低下している(それも年齢にそぐわないレベルまで)と医師の診断を受けているのに、必要な支援は受けられない。ルイ・ヴィトンのモノグラムの鞄が買えちまうほど高額な医療機器を、ほぼ自費で支払わなければならないなんて。べつにルイ・ヴィトンがほしいわけじゃないけれど。
補聴器センターへ
病院から帰宅したあと、ぼくは近場の補聴器専門店(補聴器センターとも呼ばれる)に電話をかけて予約を取った。
ちなみにだけど、補聴器は「買う」というよりも「つくる」ものだと捉えてほしい。この記事に辿り着くのはきっと補聴器を必要としているひとだろうから、注意点として記しておく。眼鏡店や百貨店、電気屋、楽天やAmazonなどでも販売はされているが、できれば必ず補聴器を専門に取り扱う店で購入するのが望ましい。なぜかというと、耳の状態、聴力や悩み、生活環境などに合わせ、そのひとにぴったり合うようにフィッティングを繰り返さなければならないものだから。それゆえ「認定補聴器専門店」か、もしくは「認定補聴器技能者」が在籍している販売店で購入することを強く勧めたい。
先述の通り血縁者がだいたいみんな補聴器ユーザーゆえ、ぼくは偶然このことを知っていた。知らなかったらきっと楽天やAmazonで手頃なものを探していただろう。また、たいていのまともな補聴器センターでは試聴機の貸出をしてくれる。補聴器はさまざまなメーカーから作られていて(眼鏡のメーカーにZoffやJINS、眼鏡市場があるように)、メーカーごとに特徴がある。店舗によってレンタル料は異なるけれど、高額なものなのでお試しできるというのは安心である。
話を戻そう。検査から数日後、補聴器センターを訪れた。スタッフさんが現在の困りごとをヒアリングをしてくれて、ぼくに適しているであろうメーカーをいくつかピックアップしてくれた。そのあとぼく聞き取り能力を調べるために、改めて語音明瞭度測定*(「あ」とか「い」とか一音一音スピーカーから発せられ、その通りの音を紙に書き留めていき、どれくらい言葉を明瞭に捉えられているかを測るためのもの)をしてもらった。
*「測定」は補聴器専門店内独自のものであり、耳鼻科で行われる「検査」とは別物である。
その測定結果が以下である。
40dBでは、なんと30%しか明確に聞こえていない。健康な50代のひとが聞き取れる領域を、まだ30代に突入したばかりのぼくの耳は拾えていなかった。
理由は主にふたつ考えられる。ひとつめは、小さい音の聞き取り能力が低下しているから。ふたつめは、子音の周波数が高いから。高い周波数(Hz)の音が聞き取れないゆえに、「り」「し」などの同じ母音を持つ異なる子音の音を区別できないのだ。
補聴器お試し体験記
ヒアリングと測定結果をもとにスタッフと相談し、「GNリサウンド」と「フォナック」の2つのブランドに絞り込んだ。重視したのは雑音抑制機能と、会話におけるフォーカス機能。不要な音はカットして、会話している相手の声を拾ってくれるようなものがぼくには望ましかった。
リサウンド・ワン・マリー9(GNリサウンド)
まず試したのは「リサウンド・ワン・マリー9」というGNリサウンドの最上位機種。GNリサウンドはデンマークのブランドで、マリーというシリーズには3つのマイクが搭載されている。
※リサウンド・ワン・マリー9の後継機。
(2023, 『リサウンド補聴器──総合カタログ 2023.5』, GNヒアリングジャパン株式会社, 20)
耳掛け式補聴器(今は肌色のものではなく、こういう耳掛けタイプが主流らしい)の場合、マイクは通常2つしか付いていない。ほとんどのメーカーが耳穴にマイクをつけないのはハウリング機能を抑制するためらしいんだけど、マリーはそれを克服している。耳穴にマイクがついていることで、より自然な聞こえを実現しているらしい。
補聴器は機械を通して音を調節する機器だから、他者の声も自分の声も、マイクを通したように聞こえがちで不自然なのだ。でもマリー9は、その不自然さがない。夫の声も猫の声も、友だちの声も、ふだん聴いている声とほとんど変わらなかった。自分の声は録音したときのように聞こえて多少違和感はあったけれど、これはもう補聴器というものの特性上致し方ない。慣れたら案外、気にならなくなった。
声以外の生活音、たとえば食器の当たる音、水が流れる音、ドアを開け閉めする音、鍵をかける音などもそれぞれごく自然で、一括りの「雑音」ではなく、各々独立した音に聞こえた。そのおかげか約1週間の試聴期間中、「着けていてしんどい」と感じることはほとんどなかった。
また最上位機種だけあってさまざまな機能が搭載されているから、パートナーの低い声も猫の高い声も、劇的に聞こえやすくなった。彼や猫がどこからぼくに話しかけているのか(指向性と呼ぶらしい)、なにを言っているのか、それがクリアになった。聞き返しもぐっと減り、慣れるよりも先に効果を実感できた。
ただ最高ランクだけあって、価格は100万を超えている。日本では片耳装用が主流のような気がするけれど──事実ぼくの親族もほぼみんな片耳装用だった──、メーカーも医師もセンターのスタッフさんもみな両耳装用を勧めてくれたので、両耳ぶん購入することに決めていた。
求める機能はすべて揃っている気がする。だが、ここまでの機能が、まだ若い自分の耳に必要なのだろうか。
補聴器は聞こえの補助はもちろん、聴力の改善も目的とされている。これまで聴力の低下に伴い長い年月、聞いていなかった音を、補聴器によって聞き取れる状態に引き上げる。その上で、その音ひとつひとつに名前をつけていく作業をする。車の走る音、高架線下の反響、街のスピーカーから流される音楽。「雑音」ではなく「この音」として認識することにより、「この音は不要、この音は必要」と場面に応じて取捨選択できるようになるのだ。
そうすることで自らの聞き取り能力を引き上げていく。飛躍的に聴力が上がるわけじゃないけれど、老化を遅らせることはできる。もともと聴覚過敏があり、フォーカス機能を欠損した状態のぼくの耳は、補聴器を用いたトレーニングが必要だろうとスタッフさんはアドバイスしてくれた。
そう考えると、上位機種のほうがむしろ自分には合っているのかもしれない。クラスが上がるほど、自ずと音の粒は細やかになる。したがってひとつひとつの音の違いが明確に聞き分けられるようになる。
試聴期間が終わって返却に赴いたとき、スタッフさんは「ハイクラスの音の粒の感じを覚えていてくださいね」と言って次の機種を貸し出してくれた。
フォナック・オーデオ・ルミティ・エッセンシャル(L30)
(2023,『フォナック オーデオ ルミティ シリーズ──会話が輝きだす、ルミティ』, ソノヴァ・ジャパン株式会社, 12.)
その次にスタッフさんが用意してくれていたのは、スイスのブランド・フォナックの、会話に特化したルミティというシリーズの最下位機種。あえていちばん下のランクを選んだのは、「音の粒の粗さ」を確かめてほしいからだそうだ。
粗くても大丈夫なのか、それとも細やかでないと常用が難しいのか。ぼくくらいの中等度難聴を持つひとで、粒が粗くても気にならないひともいれば、粗さをしんどく感じるひともいる。さっき「雑音」を「ひとつの音」として識別していく話をしたが、補聴器をもってしてもそれが難しい症状のひともいるようだ。そういうひとは下のランクの機種でも、むしろ問題はない。音量を大きくすることによって聞き取りやすさを上げる方向に持っていく使いかたがマッチしているから。
でもぼくには、この粒の粗さが辛かった。機種のランクが低いから聞き取りが落ちるのは想定内だったのだけれど、音量を上げると今度はしんどく感じた。耳に刺さる感じ、と表現したら伝わるだろうか。皿を洗う音、鍵をかける音、水を流す音、すべての音の違いもよくわからず、区別が付きにくかった。
また、フォナックは高い音を強く出す設計になっているらしい。たいていの補聴器はそういう作りなのだけど、フォナックは特にその傾向が顕著なようだ。
これは言語に起因するらしい。日本語のべったりした音と違って、たいていのヨーロッパの言語では子音が重視される。“sch”とか“cha”とか“ze”のように。補聴器はヨーロッパのメーカーが圧倒的に強いため(日本よりもヨーロッパのほうが補聴器普及率が高く福祉制度が整っていることによる)、概ねそのような作りになっているのだとスタッフさんが教えてくれた。
フォナックのこの特徴もまた、音量を上げたときに感じた「耳に刺さるような感じ」に繋がってしまったらしい。
そしてフォナックの補聴器には、耳掛け部分の髪に当たる箇所には雑音抑制機能が搭載されていない。GNリサウンドにはそれがほぼすべての耳掛け式補聴器に搭載されているのだが、正直GNリサウンドを試しているときはその機能の効果があまりわからなかった。「気持ち抑制されているかな」くらいで、髪の毛が当たってシャリシャリする音が完全にカットされるわけでもなかったのだ。
だからこの機能をそれほど重視していなかったのだが、やはりあるとないとではぜんぜん違う。フォナックの場合、髪の毛が当たるたびにシャリシャリ音が鼓膜に響いた。もしかしたら髪型によってもここの感じ方は異なるかもしれない。ぼくは耳に触れるか触れないかくらいのショートヘアにしていることが多いから、この機能はあったほうが望ましい。
以上の理由から、ルミティ・エッセンシャルは着けているのが辛く、丸一日の装着は困難だった。時間をかけても慣れることなく試聴期間が終了した。
最終的に選択した補聴器は
ふたつを聴き比べた感想から、スタッフさんとぼくに必要かつ適切な機能を割り出した。
- 耳掛け部分の雑音抑制機能
- 衝撃音抑制
- フォーカス機能
以上の3つ。
スタッフさんの意見によると、フォナックの音自体がぼくに合わないのではということだった。ランクを上げれば音の粒は細やかになる。リサウンド・ワン・マリー9と同等クラスのルミティ・シリーズの機種を使えば、その点は改善されるだろう。しかし「音の出し方」は変わらない。それゆえきっと上位の機種を使っても、「耳に刺さるような感じ」はおそらく改善されない。
ということでまず、ブランドはGNリサウンドに決定。あとはランク、つまりどの機種にするかだ。
騒がしい場所での聞き取りはものすごく苦手だし、特にメンバーが多い飲み会なんかでは遠くのテーブルに座っているひとの言葉を拾うことができない。でもそういう飲み会って、考えてみれば年末年始の忘年会・新年会くらいしかない。
自宅仕事だし、フリーランスだし、毎日会話をする相手はパートナーと猫くらい。銀行や役所や病院などでの呼び出しを聞き逃さないこと、月1くらいの少人数の飲み会における会話を円滑にすること、映画館での台詞が明瞭に聞き取れること(ぼくは映画レビューの仕事も請け負っているので、映画館での聞き取りは生活に直結する)。これらさえ解決できれば、日常生活は問題なく送れるだろう。
ということで、リサウンド・ワン・マリー9よりひとつ下のランクかつ、マリー・シリーズの最新版であるリサウンド・オムニア・マリー7に決定した。価格は80万ちょっと。9よりは気持ち抑えられたが、まあ高い。調べたらルイ・ヴィトンのちっちゃいカバンが2つほど買える。もしくは中古の軽自動車とか。ルイ・ヴィトンも中古の軽もべつにほしいわけではないけれど。
若い世代の補聴器選びこそ慎重に
GNリサウンドのマリー・シリーズは、カラバリが豊富かつおしゃれだ。ぼくはレッドを選んだ。こういうデザイン性の高さも、正直ありがたい。フォナックもそうだが、最近の補聴器は「いかにも」ってものばかりではなくなっている。
ぱっと見では補聴器とわからないようなデザイン、それも一見すると着けているかどうかも分からないようなサイズは、装着の抵抗感を和らげてくれる。年齢にそぐわない衰え方をしてしまったことにショックを受けているぼくみたいな人間にとって、そういうポイントも重要だ。
また、この数ヶ月にわたる補聴器選び期間で学んだのは、一口に「難聴」といっても個人個人で必要とする機能は異なるということ。症状や日常生活で、それは変わってくる。だから補聴器専門店での購入はもちろん、試聴やフィッティング(それぞれの聞こえに合わせた細かい調整)をおろそかにしてはいけない。面倒くさいけれど、補聴器センターに通って自分の耳にぴったりフィットするものを見つけなければならない。高額な買い物だし、下手をすると安物買いの銭失いになりかねない。
そして若い世代こそ、いっそう慎重になる必要がある。ぼくのようにただ音を大きくすれば問題が解決するわけではないというひとが多いだろうから。もちろん、年齢問わず慎重になるべきだけど。間違っても楽天やAmazonでセールになってる2〜3万円のものを購入しないでほしい。
補聴器選びの終わりに
リサウンド・オムニア・マリー7を装着して生活するようになってから、およそ1ヶ月が経つ。補聴器は眼鏡のように「着けたらすぐ改善する」というものではなく、日常的に装着して慣れてからでないと効果は実感しにくい。
補聴器生活になって最初のほうはビニールのかしゃかしゃ音だったり鍵の開け閉めの金属音だったりが辛かったが、今では「拾わなくてもいい音」として認識できるようになったのか、だいぶ気にならなくなってきた。
そして家族や友だちとの会話が、かなりスムーズになった。それは相手も感じるようで、「以前より聞き返しが少なくなってる」と感想をもらった。聞き返すたびに相手への申し訳なさを感じていた身としては、とても嬉しい。
それから補聴器ユーザーになったことで、様々な場面においてあらかじめ「聴覚に障害がある」と伝えやすくなった。銀行でも役所でも病院でも、「補聴器」という医療器具を有していることからその困難さが可視化され、配慮してもらいやすくなった気がする。
これまでも「聞こえにくい」と申し出ることはあったけど、どの程度のものなのかが伝わりにくかったのだ。
補聴器ユーザーになってみて、伝えたいことや考えたことはまだまだたくさんある。
これからもっと出てくるだろう。
それらについて、引き続き発信をしていきたい。