しずかちゃんとは程遠かった幼少期
幼い頃から口が悪いとよく注意される子どもだった。
育った環境、兄弟構成、何かのせいにするつもりはないのだが、「うまそう」「食いてえ」「宿題やってねえ」etc……
母親からは「女の子なんだからもっと丁寧な言葉遣いをしなさい」と再三注意され、その都度言葉を言い直させられてきたものの根本は直らずに大人になった。母の理想はしずかちゃんだったかもしれないが私の話し方はどちらかというとジャイアンのそれに近かったかもしれない。
さすがに現在は一応社会人なので時と場合で言葉遣いを分けて暮らしているが、未だに親しい友達の前ではかなり口が悪い。自慢じゃないが悪口の語彙がかなり発達している方だと思う。腹立たしい出来事や人物に関して、考えうるあらゆる語彙を使って文句を言うことを時たま酒のつまみにしている。母よ、誠に残念ながらご期待には添えない結果となりました。
なぜ口が悪いと怒られるのか
しかし、そもそもなぜ口が悪いと怒られて、自分でもなんとなく「良くないこと」をしているような引け目を感じなければいけないのだろうか。
先に上げたような言い回しをクラスの他の男の子たちが言っても怒られることは少なかった。男の子が日常で使っている言い回しをそのまま女が使うとなぜ「下品」なのか。男の子は下品でも許されるということ? 女の子は上品でいるべきだということ? もしくはその両方? また、環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんや「#KuToo」運動呼びかけ人の石川優実さんなど、女性の活動家が議論の中で強い言葉を使うと決まってこう言われる。「言い方をもっと丁寧に」。男性の活動家にそんなことを言うだろうか?
あと、最近人から言われてハッとしたのは、何かを拒否するときに男言葉では「やめろ(命令)」となるのに女らしく言うと「やめて(依頼)」になる、ということだ。言葉によって立場まで変えられてしまっている。こっちにも命令させてほしい。
漫画『さよなら私のクラマー』
このように、男女の言葉遣いに関しては違和感を覚える点が多々あるのだが、最近友人から教えてもらった漫画『さよなら私のクラマー』の登場人物はかなりの割合で“口が悪い”。
あの『四月は君の嘘』の新川直司先生による高校女子サッカーが舞台の漫画で、作中のキャラクターはほとんど女だ。彼女たちの多くはしばしば試合中に「ぶっ潰す」とか「ふざけんじゃねえ」などと悪態をつきながら汗だくでボールを追っている。もちろん口が悪くないキャラクターやお嬢様口調のキャラクターもいるが、「しずかちゃん」的な女子はいない。
「ぶっ潰す」とか「ふざけんじゃねえ」といった台詞は、漫画で女子キャラクターが言っているところを読むと「ワイルドな話し方をする女の子たちだな」と新鮮に感じるけれど、女子運動部員の会話ってリアルにそんな感じではないかと思う。私も中学でバスケ部に入っていたとき、男子よりも髪を短く刈り上げて例のごとくほぼ男みたいな口調でコートを駆け回っていた。髪が長い子も口調が乱暴じゃない子ももちろんいたけれど、私や『クラマー』に出てくるような子たちはたくさんいた。スポーツの場では「女の子らしくする」ことは求められていないからなのだろう。練習はきつくて辛かったのだが、「しずかちゃん」でいることを強要されることはなかった。なんならジャイアン大歓迎である。「ぶっ潰す」も「ふざけんじゃねえ」も、それよりもっと口悪い台詞も飛び交う世界だった。それは女子バスケ部に限った話ではないだろう。しずかちゃんでいなくてもいい世界ならどこでもわりとそんな感じだと思う。
「ぶっ潰す」とか「ふざけんじゃねえ」などといった台詞を、同じ高校スポーツ漫画の代表的な作品、『スラムダンク』の登場人物が喋っていたとしても全く違和感はない。
世に溢れるフィクションの「女子風女子」
それなのに『クラマー』の登場人物が口悪く喋っていると、「ワイルドな話し方をする女の子たち」=普通とは様子が異なると感じるのは、普段私たちが目にするフィクションの中の女子がかなり誇張されて必要以上に「女子っぽく」描かれているからなのではないか。
リアルではあまり耳にしない「〜なのよ」「〜だわ」といった女言葉、ケア要員的な属性、男性キャラ目線での「モテ」要素、誇張された身体のライン、「女の子キャラ」同士のゆるふわな関係性……。
そういった、現実の女性像からかけ離れた女性キャラクター像が溢れすぎていて、いつの間にかそっちに目が慣れてしまっていたのだ。『クラマー』に出てくる女たちがごく当たり前のように「サッカー女子」ではなく「サッカーをやっているひとりの人間」として描かれているのを新鮮に感じたが、普通と様子が異なるのは『クラマー』の女たちではなく世に溢れるフィクションの「女子風女子」の方だ。
なぜなら女は・・・
『クラマー』は女子サッカー界に対して問題提起をし続けたいわけではなく、あくまでもスポーツに情熱を傾ける少女たちの姿を描きたいとしているらしい(※担当編集インタビューより http://news.kodansha.co.jp/20160817_c01)。だからこそ、登場人物たちは「サッカー女子」というより「サッカーに打ち込む若者」として描かれ、そこに女らしさを必要以上に誇張する言葉遣いや振る舞いは発生しないのだ。
女だって、彼女たちみたいに時に口悪く罵ったり声を荒げたり、がさつに振舞ったりする。なぜなら女は人間だから。 作中では女子サッカー界の厳しい現実(男子との待遇の差やプロとして続けていくことの難しさ)も描いているが、主題は登場人物たちがサッカーに打ち込んでいく様とそこに生まれる人間ドラマだ。泥臭くピッチを駆け回る彼女たちはいつも汗だくで、本気で、たまにダサくて、心底かっこいい。泣かせにくるというよりも、ふとした一コマの彼女たちの表情につられて気づくと涙が流れている、そんな漫画だ。
これまで、(少なくとも私の周りの)スポーツに打ち込む女子たちが憧れて読む漫画は男性主人公のものが多く、女子が主人公でも「女子風女子」的な要素があったり、「女の子同士の友情」的なものに主題が置かれていて、「女子スポーツ」をまっすぐリアルに描いた作品というのは少なかったように思う。中学の頃の、短髪で部活に打ち込んでいた頃の私に『クラマー』を読ませたらなんて言うだろうか。
「こいつらとは仲良くなれそうだ」と言って笑うかもしれない。