「オリンピックイヤー」改め「災厄イヤー」に社会人になる皆さんへ
2020年の春がこんなことになるなんて、誰が予想しただろうか。
「なんでも好きな本を好きに紹介して良い」という寛大すぎるこの連載で、この春から新しく社会人になる女性たちに向けて、ささやかながら何かおすすめできる本はないかとぼんやり考えていたのだが、こんな年に新社会人になる人たちはそれだけですでに大きなピンチを迎えており、ゆっくり本を読む余裕なんてこれっぽっちもないのかもしれない。
卒業式や入社式がなくなったり、研修がなくなったり、何も分からないのにいきなりリモートワークになって困り果てるか、あるいは出社せざるをえない職種や会社であるために怯えながら満員電車に乗っているのかもしれない。
ものすごく悔しくてやりきれないことだが、この状況下では苦労して勝ち取った内定が取り消されてしまった人や、フリーランスになったものの収入の目処が立たず本当に苦しい思いをしている人も少なくない。
ただでさえ新しい環境というのは疲れるのに、この苦境のなかでなんとか生きているだけで本当に尊敬する。
と同時に、このような災厄や経済難が起こったときに真っ先に切り捨てられるのは立場の弱い者だということを毎日毎日あらゆる形で見せつけられて、怒りと悲しみとが入り混じった感情に自分も押しつぶされそうになる。
「空気のような女性差別」と「善意のような顔をした女性差別」
そして残念ながらこの社会では「弱い者」のカテゴリーの中に依然として「女性」が入ってくる。
「いや女性差別とかもう今の日本にはないっしょ」と思っている人もいるかもしれない。
私も学生の頃はそう思っていたし、フェミニストというのは「なんだかやっかいでうるさい人たち」という印象さえ持っていた。
ところが社会人になってみて、だんだん気づくのだ。
現代の女性差別やセクハラは「それはもはや性犯罪だろう」というようなあからさまなものだけでなく、「空気のように」存在していたり、時には「善意のような顔をして」こちらに害をなしてくるものがかなり多いということに。
「空気のような女性差別」とは、例えば、会議の議事録をとったり来客にお茶を出したり懇親会の店の手配をしたりするのはなんとなく女性がやる雰囲気になっていることや、ちょっとバカっぽい振る舞いをした方が好かれる・逆に笑わない女は冷徹でコミュニケーション力に欠けると、当然のように思われていることだ。
「善意のような顔をした女性差別」というのは「女性ならではの意見を聞かせてほしい」とか「しなやかにキャリアを築いて女性社員のロールモデルに」などと言われたり(しなやかってなんだ本当に)、一人の会社員としてではなく「若い・未熟な女の子、OL」として不当に扱われるようなことだ。(個人的な話だが、働く人を指す言葉として「ビジネス“マン”」は女の私には馴染まないし、「OL」は会社の花的なニュアンスが拭えないので、「会社員」とか「労働者」とか言うようにしている)
「そんな目には一度も遭ったことがない」という人は、「自分がそんな目に遭っていることを自覚するに至っていない」か「会社と上司のガチャでSSRを引いた」かのどちらかであろう。
そんな風に、得てして「若い女」というのは社会で本当にナメられやすい。
実害を被るような形であっても、年長者から「可愛がられている」ような形であっても、要はナメられていることに変わりはない。
女が職場でナメられないための「戦いの書」、『フェミニスト・ファイト・クラブ 』
前置きが長くなったが、今回紹介するのはそういった「職場でのナメられ=女性差別」にどう対処するかが超具体的に、ケース別に書かれている一冊、『フェミニスト・ファイト・クラブ 「職場の女性差別」サバイバルマニュアル』である。
この本は6つのパートに分かれている。
「Part1 敵を知る」では、職場にいる様々なタイプの敵(こちらに害をなしてくる男)についての解説と、奴らに対してどのように対策すべきかが書かれている。
「セクハラ男」のようなわかりやすい敵から、「実績横取り男(実際には女性が出したアイデアを最終的に自分の実績にしてしまう男)」や「上から目線男(自分の方が女性より頭がキレると信じて疑わない男)」など、遭遇したらモヤっとするけれども実際には反抗せず受け流してしまいそうな敵まで、具体的にどのようなセリフで撃ち返すかという対処法とセットで網羅されている。
うーん、最高に実践的。このパートだけでも社会人一年目から読んでおきたかった。
ただ一つ残念なのはどの敵も「こんなやついねーだろ笑」と笑えるどころか、全員どこかで見た事があるということだ。
「Part2 自分を知る」では、女性自身が陥りがちな「自分で自分をダメにしてしまう行動」について書かれている。
それは例えば「頼まれていないのに進んで備品の交換やコピー取りやスケジュール調整などの“オフィスの家事”を引き受けてしまうこと」や「何か成果を出した時にバカなふりをしてマグレですと言ったり過度に謙遜したり」することだ。
こういった行動は「女の子は気が利く方がいい」とか「女の子はちょっとおバカで謙虚な方がいい」とか言われて育ってきてしまった弊害なのだが、残念ながらこんな女性たちも皆どこかで見たことがある(もちろん自分も含めて)。
なんとなく「そうしないと気の利かない女だと思われる」とか「きっと誰かがそういう謙虚さを見ていてくれて評価に繋がる」と思ってしまうのだが、「それは他の男性もやっていることか」「それは自分の業績(本来会社から求められていること)に繋がるか」を冷静に考えるべきだ。
敵は男の中だけでなく自分の思い込みや刷り込まれた習慣の中にもあることに気づかせてくれる。
「Part3~5」ではより具体的に、女性の会社員が職場で言われがちなセリフやぶち当たりがちな障壁に対しての対処法や、ナメられない話し方や伝え方、交渉術などの実践方法が書かれている。とくに賃金交渉や採用面接など、これまでの成果を示す場面ではなかなか強気に出られなかったり、過度に謙遜してしまう女性も多いかもしれない。
しかし男性に比べて女性の方が給料が低いというのはデータで明らかになっていることで、私たちは男性の同僚と同じくらいの賃金を積極的にも求めていく権利があるのだ。
自信を持ってドーンと交渉に励んでいきたい。こちらも下準備から伝え方、切り返し方まで網羅された安心のマニュアルがついている。
最後の「Part6 男性ならどうする?」では、著者の友人で仕事の進め方のうまい(そして女性の敵にならない)男性の良いところを積極的に盗んでみる試みが記されている。
このパートを読むと、普段女性社員が陥りがちな「一歩引く」「謙遜する」「許しを求める」「雑用を引き受ける」といった行動を全く取らずに、それでいて周囲から好かれながら成果を出すのは可能だということがわかる。
「人がやりたくないことを進んで引き受ける方が好かれる」とか「謙虚で愛嬌が良い方が得をする」というのは、私たちを都合よく使うための迷信なのだと気づかされる。
このように、全体を通して具体的なケースと対処法が、ユーモアと皮肉とエンパワメントに溢れた言葉で書かれているので、読み終わる頃にはかなり勇気づけられるし、心なしか胸を張ってドンと立っていられるような自信が湧いてくる一冊だ。
コロナと一緒に消えて欲しい「しなやか・愛想・バカなふり」信仰
「しなやかに」「愛想よく」的な働き方の押し付けや、必要以上の謙虚・謙遜、そして悪しき「女はバカなふりをした方が得」信仰はいい加減もう終わりにしたい。
あのウイルスと同じくらいこの世からなくなって欲しいと切に思う。
そういう風に振る舞うのが「賢い」と言われて育ってきた私たちだけれど、結局そういう振る舞いは「こいつは都合よく動く」とナメられて利用されるだけに終わってしまう。
私はそういう「気遣いができて優秀で真面目な女性たち」が「しなやかに」働き続けて途中で折れてしまったり、わがままで身勝手な男性上司の世話に終始して、本来彼女たちが成し遂げられたはずのさまざまな仕事や功績が世に出ずに終わってしまっているのをあちらこちらで見てきた。
「しなやか・愛想・バカなふり」は途中までは上手く行っているように見えることもあるけれど、その先は敵にいいように扱われるルートにしか繋がっていないし、そういった働き方が是とされるのは下の世代にとっても弊害がある。
いつもニコニコしていなくたっていい。愛嬌があると思われなくたっていい。
男性社員はいつも笑顔でご機嫌よく、愛想が良いことを求められているだろうか?少し考えればそうじゃないとわかる。
どうか、自分から「職場の花」になろうとしないで欲しい。花になれてもボスにはなれない。
世界で活躍している女性のなかに「しなやか・愛想・バカなふり」を一生懸命実践して上り詰めた人はいないだろう。
「別にボスになりたいと思ってないんだが」と思って働いてる女だって花になる必要はない。
普通に真っ当に仕事をこなす会社員になればよいのだ。出世したかろうがしたくなかろうが、会社は花になりに行くところじゃない。仕事をしに行くところだ。
どうか、この非常事態が一日も早く収束して、その先に待ち受けている(もともと女にとっては非常事態だった)日常が一刻も早くマシになることを願いながら、この「戦いの書」を全ての働く女たちに捧げたい。